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●第1話
永いお別れ
灯りが消えた。
私は黙って闇を睨んでいた。次第に大きくなるざわめきは、このZigguratの囚人たちの動揺する声だ。私の肉体も、次に起こる何かを待ってざわめき始めている。 独房の扉が、ギリギリと音をたてて開いた。電力の供給が停止すると機械的にロックされるはずの扉を、誰かが無理矢理こじ開けたのだ。非常灯の赤い光を背に、男が独房に入ってきた。刑務官ではなかった。ここの刑務官は、黒いヘルメットもアーマーも身に付けてはいない。
床に座り込んでいる私を見下ろして、男は鼻を鳴らした。
「囚われの姫君は、ベッドより床が好きか」
「床とはファックしない。ベッドとも」
「ダーティな姫君だ。……ハロウィン・パーティの時間だ。外に出たくはないか?」
「何者だ?」
「質問しているのはこちらだ」
「……お前は、脚を折った馬に餌を持ってくるような間抜けなのか?」
赤い逆光の中で、男は笑ったらしかった。
「<Arachnos>」
「Arachnos?」
男は頭陀袋を放ってよこした。
「ハロウィン・パーティに、そのオレンジ色のドレスは派手すぎる」
「……」
「パーティが始まったら、……そうだな、『H.T.』に話を訊け」
男は身を翻し、通路へと姿を消した。
やがて、轟音がZigguratを揺るがした。スーパーパワーを持つ犯罪者をも収監する、Zigguratの強固な壁に、巨大な亀裂が走った。非常警報が三流歌手のような悲鳴をあげ、囚人の歓声が聞こえてきた。「BREAKOUT!! BREAKOUT!!」監房の扉が一斉に開いたようだ。爆発でロック機構がいかれたのか、それとも前もって誰かが仕掛けたのか。続いて地鳴りのような足音と、通路を駆け抜けるオレンジ色の囚人服たち。ハロウィン・パーティの始まりらしい。
男の放り投げてきた頭陀袋を開け、中身を床にぶちまける。入っていたのは、真っ赤なボディスーツ、黒いグローブ、ブーツ……、真新しいコスチューム一式だった。
花火とハロウィン・パーティ、無料のパーティドレス。相当に大きな組織が用意した、旨そうな餌だ。旨すぎて胸焼けがしそうだ。それでも覚悟を決めるしかなさそうだった。罠だか何だか知らないが、自由になれるチャンスがあるなら食いついてやる。
囚人服を脱いで、コスチュームを身につける。露出が多いが、動き易い事は確かだ。だらだらと長く伸びた髪が気になるが、そのままにしておいた。
通路は騒然としている。警報は鳴り止まない。餌を探す蟻のようにウロウロしている囚人服の連中に混じって、スーパーヒーローみたいな派手な格好をした奴がいる。彼らもあの<Arachnos>とやらに、パーティに招待されたのだろうか。

H.T.
『H.T.』はすぐに見つかった。派手なコスチュームの連中に囲まれていた。黒髪をなびかせて近づく私を目ざとく見つけ、
「よう"Elder"、あんたもかい? 随分セクシーなカッコで……」
私は無言で『H.T.』をぶん殴った。
「ななな何するんだよう」
「ポルノグラフィの読みすぎで脳をやられたか。その名前で呼んだら殴ると言ったぞ」
「ひでえ女だ、畜生。そんなだから独房送りなんだぜ」
周りの連中も、『H.T.』と同じことを言いたそうな顔をしていた。
「何が起きた」
「よ、よく知らねえんだよ。爆発が起きて、馬鹿な連中は喜び勇んで外に出て、早速セキュリティに取っ捕まって……」
「<Arachnos>は?」
派手な格好の連中が、一瞬緊張した。
「お、俺も直接知ってるわけじゃないけど、……知ってる奴に仲介してやってもいいぜ」
「誰だ」
「……そうだなー、タダで教えるのもなー……」
「ほう?」
私の胸元を覗き込んで、腹を空かせたバセットハウンドのような好色な顔をする『H.T.』をひと睨みする。
「セクシーなワタクシに何かしてほしいのか?」
「う、いや、えーと、……な、殴られたところが痛むから鎮痛剤が欲しいなあ……なんて」
すぐそばにあった医薬品の棚から、アスピリンの瓶を一掴み持ち出して、『H.T.』の懐にぶち込む。
「で?」
「な、なんだよもう。……Jimmy Dortsだよ。知ってるだろ?」
「顔と名前だけはな」
お礼代わりにもう一度助平面をぶん殴ってやった。
Jimmy Dortsは、通路の片隅で悠然と葉巻を愉しんでいた。脱走する気はさらさら無いといった風情だった。近づくと、葉巻をくわえたまま笑った。
「確か"Elder Kissme"だったか?」
こいつも殴られたいらしい。
「おい、殺気立つんじゃねえよ。……しかしマジで似てるな。ホントに姉ってわけじゃねえのか?」
私には過去の記憶がない。ある日、ある時、気がついたらどこかの街の路地裏に素っ裸で転がっていて、周りには血まみれの男たちがぶっ倒れていた。経緯はわからない。ともかく、そいつらから服と金を奪い、……そこから先はまた記憶が途切れるのだが……、色々な街を渡り歩き、ある日、ある時、気がついたらParagon Cityにいた。Rikti Warの荒廃から復興中のこの街は、私のようなならず者が住むにはうってつけだった。なぜか懐かしさも感じた。私は気持ちの赴くままに暴れ、暴力の悦楽に酔い、気がついた時にはここZigguratに収監されていた。半分意識もなく、泥酔しているような状態で暴れていた所を、警官隊に包囲され、逮捕されたと、後で聞いた。運の無い女だ。
収監されてまだ1週間だが、記憶が途切れるという症状は今のところ無い。検査した医師の話からわかったのは、私がミュータントであること、以前ミュータントパワーの爆発(もしくは暴走)状態に陥った事があるらしいが、現在ようやく沈静化・安定化し始めているということ(要するにまだ不安定だということ)。過去の記憶が無いのは、そのミュータントパワーの暴走に関係があるのかもしれない。パワーの大きすぎるミュータントにはままあることらしいが……。
ここに来て、外に出られない事以上に辟易したのが、顔を合わせる奴が私を見てことごとく、「キスミー!?」と叫ぶことだった。何かのまじないか、それとも全員揃ってのセクハラなのかと悩んだが、答えはある女性刑務官が教えてくれた。この街にいるKissmeというスーパーヒーローが、私にそっくりなのだという。その刑務官が、しつこく「あなたKissmeのお姉さんじゃないの?(Aren't you Kissme's elder sister?)」と訊いてきたおかげで、いつの間にか『Elder Kissme』という可笑しな名前が通り名になってしまい、ますます辟易するはめになっている。……もっとも、別の名前で呼んでもらいたくとも、私は本名など憶えていないのだが。
焙煎しすぎたコーヒー豆を噛み砕くように、苦い思いを反芻していると、Jimmy Dortsは近くの小部屋を顎で示し、
「その部屋のロッカーを開けてくれねえか」
「なに?」
「俺の相棒の大事な物が入ってるんだよ。先週没収されちまってな」
細かい用事を頼む奴ばかりだ。小部屋に入って、小さなロッカーを蹴飛ばす。シュールな形になった扉を力任せに剥ぎ取る。中には、囚人から没収した小物を収納してあるらしい。横から覗いていたJimmy Dortsが手を伸ばした。取り出したのは、パイプベッドのフレームから作ったような、歪んだ形のナイフだった。Jimmy Dortsは嬉しそうに目を細めると、尻ポケットにそれを入れた。それが奴の『相棒の大事な物』らしい。まだ何かゴソゴソ探していたかと思うと、今度は私に小さなピルケースを放ってよこす。
「何だ」
「『Enhancement』さ。……知らねえのか。ヒーローも使ってる、パワー増強用のナノマシンだ。中のピルを飲めば、あとは勝手にパワーアップしてくれる。……続きはCazeに聞きな」
「……お前は逃げないのか」
Jimmy Dortsはくわえた葉巻を振ってみせると、
「外じゃこいつを喫い難くなった。ここならたらふく喫える」
「Zigguratは"Smoking Room"に改名した方が、社会のためになりそうだな」
「違ぇねえ」
Jimmy Dortsは歯を剥いて笑った。
Jimmy Dortsの次はCaze、Cazeの次は下水道の中にいるBlake、さらに次はMorben、とたらい回しにされ、ストレスが溜まってくる。

下水道出口。
「<Arachnos>がお使いゲーム普及組織だとは思わなかった」
下水道の出口近くに突っ立っているMorbenという男に、言った。私にコスチュームを届けた男と同じく、全身黒ずくめだった。
「"Elder"、物事には順序というものがあるのだ」
「刑務所にいるような奴が、それを理解しているとでも?」
「それもそうだな」Morbenは苦笑した。「だが私も多忙で、お喋りを楽しんでいる暇はない。君にはもう少しお使いゲームを楽しんでもらおう。そこから中庭に出て、Sakai Tamakiという男に会え」
夜はまだ明けていなかった。外の空気を深呼吸したが、下水道のそばでは、悪臭で胸がいっぱいになっただけだった。非常警報は鳴り止まず、あちこちから煙が上がっている。囚人たちの歓声と悲鳴、セキュリティの怒号。
Sakai Tamakiは中庭の隅に、腕を組んで立っていた。
「次は誰に会えばいい」
私の言葉に、Sakai Tamakiはマスクの奥で笑った。
「慌てるな。<Arachnos>の偉大な支配者Lord Recluseは、お前の魂に運命的な絆を感じておられる。彼の"Fortunata"であるKalindaも、お前は、Paragon Cityのヒーローとの戦いを勝利へと導く者たちの一人かもしれないと言っている」
言うことが大仰で鼻につく。ただでさえお使いゲームでストレスが溜まっているというのに、鬱陶しい男だ。
「しかし、Kalindaもまだ確信を得てはいない。そこで、これから俺様がお前を試験する。本当にお前にその資格があるのか、その力をこの俺様に見せるがいい。まず……」
「こうか?」
私は、奴の胃袋を思いっきりぶっ叩いた。
「ぐ」
「辛そうだな?」
地面にうずくまったSakai Tamakiに、言ってみた。返事が無いのでしばらく待った。やがて、中国語らしい言葉で二言三言吐き捨てると、腹を押さえたまま立ち上がり、
「俺様の腹を殴ってどうする!」
「顔面の方が良かったか?」
「だ、誰が俺様を倒せと言った。向こうで馬鹿騒ぎしている連中を何人か倒してみせろ。それが試験だ」
騒ぎに便乗して脱獄を企てる連中は、あとからあとから中庭に飛び出してくる。

BREAKOUT!!
無関係な奴を叩きのめす事に、釈然としない思いもあったが、やるべきことは手早く片付けた。不幸な犠牲者に選ばれたのは、私を見て「Kissme!?」と叫んだ男4人だった。犠牲者候補はまだ大量にいるが、これ以上暴れていいものか……、と思いつつ背後を見ると、音も無くSakai Tamakiが立っていた。
「……ニンジャか?」
「ニンジャではない。滅多なことを言うな」
かすかに動揺しているようだったが、気のせいかもしれない。
「とりあえず、腕だけは確かなようだな。礼儀には欠けるが」
「<Arachnos>とはどういう組織だ」
「それを教えるのは俺様の役目じゃない。……ともあれ、今からお前の新しい人生がスタートする。右手の道を行け。ヘリが待っている」
Sakai Tamakiの姿が消えた。試験には一応合格したらしい。言われた通り、右の道を進んだ。中庭の外れに、不吉な色のヘリが着陸していた。そばに、黒ずくめの男が一人、途方にくれたように立っている。ヘリの操縦士らしい。

<Archnos>のヘリ。
「ここが終点か?」
「いいや、出発点だ」
男は、頭を撫でられすぎた猿のように不機嫌な顔で言った。
「出発点というのは大抵賑わっているものだが」
「地下倉庫に爆弾を設置するために出た副操縦士が戻って来ない。奴が戻らないうちは離陸できない」
「役に立たない屑だな。屑は捨てろ。まともな人材を雇え。……まさか、人材集めにここに来たのか?」
『操縦士』はそれには答えなかった。
「頼みがある。副操縦士を捜してもらいたい」
「その屑を、見つけ次第始末すればいいのか?」
「馬鹿を言うな。連れて戻るんだ。他の連中にも捜してもらっている」
「他の連中?」
「お前と同じく、試験に合格した連中だ。……お前には」彼は100ヤードと離れていない扉を指さした。「あそこを探ってもらおう」
私はおそらく、相当呆れた顔をしていたはずだ。
「……あんな近くなら自分で行け」
「俺はここを離れるわけにはいかん。早く行ってこい。Paragon City全土から、ヒーローがここに向かっているという情報が入った。時間がないぞ」
舌打ちをして、その地下倉庫に入った。
「フリーズ! 壁に手をつけ!」
男の太い声が聞こえた。一発で当たりくじだ。ふざけた茶番だ。人生全てこの調子なら文句無しだ。
「わかった! わかったから撃つな!」どことなく聞き覚えのある声が言った。「何者だ、お前ら」
「我々はFreedom Corpsの特派部隊、<Longbow>だ。この暴動の鎮圧のため投入された。同じことを何度も言わせるな」
「くそ……、俺は<Arachnos>の兵士だ。"Elder Kissme"のことは簡単には喋らんぞ」
「……誰がそんな事を訊いた。"Elder Kissme"とは何のことだ?」
「あっ、いや、あの」
頭が痛くなってきた。
私は気配を断ち、薄闇に姿を消した。奥に進むと、三人の男がいた。黒ずくめの<Arachnos>の男が壁に手をつき、紅白の派手な格好の二人がその背中にアサルト・ライフルを向けていた。

<Longbow>と<Arachnos>。
「"Elder Kissme"とは何だ。ヒーローの、あのKissmeに関係することか?」
私は音も無く片方の紅白男の背後に近づき、狙いを定めてそいつの背に蹴りを見舞った。相手の背骨の砕ける感触に、私の肉体に甘いエクスタシーが走った。相棒がこちらに向けたアサルト・ライフルを蹴り飛ばし、そいつの腹に拳を撃ち込む。
「……き、Kissme!? まさか!?」
呻いた男は、私の蹴りを頭部に受けて昏倒した。
「お、おお、え、"Elder Kissme"じゃないか」
『副操縦士』の顔を見て、私はもう一度呆れ顔をしなければならなかった。私にコスチュームを届けた、あの男だった。
「わ、我々は君を助けるためにここに来たんだ」
「ミミズでも掘り出して、そいつに言え。さっさと出るぞ」
「あっ、ま、待て。この爆弾を仕掛けていかないことには……」
まだお使いゲームは終わっていなかったらしい。
二人でさらに奥に進み、その場にいたセキュリティを片付けて、爆弾を設置した。
「これでよし。よくやってくれた。さすがは……」
「ベッドと床、どっちが好きだ?」
「は?」
私は『副操縦士』を力任せにぶん殴った。男は見事にぶっ倒れて、床に情熱的なキスをした。
「床とファックしろ」
『副操縦士』をかついでヘリまで戻った。『操縦士』はうろたえた声で、
「ど、どうした。殺されていたのか」
「私が殴った」
「お前な……」
失神している『副操縦士』を、苦労してシートに座らせているうちに、他の連中も戻ってきた。二〇人ほどいた。Lord Recluseとやらは随分と沢山の魂に『運命的な絆』をお感じになったらしい。
「全員乗り込め。これから『Mercy Island』へ向かう」
『操縦士』の声を聞きながら、私も搭乗口へ回った。乗り込むのは私が最後になりそうだった。
一陣の風に、私は空を振り仰いだ。夜明けの空に、彗星のような輝きが無数に飛んでいた。いくつかの光は中庭に落ち、人の姿になった。
「ヒーローが来た。離脱するぞ。さっさと乗れ!」
搭乗口に足をかけた時、ヘリのすぐ近くにまた一つの光が落ちた。人の姿になったそれは、真紅のコスチュームを身にまとった、長身の女だった。凛々しいポニーテールのその女は、私を見、そして激しい衝撃を受けたように目を見開いた。
衝撃を受けたのは、私も同じだったかもしれない。よく憶えていない。そこからの記憶がない。
何か柔らかいものの上で目を覚ました。
潮の香りと、甘い香の匂いがした。
「おはよう。そしてようこそMercy Islandへ」
上から私を覗き込んでいる女が言った。変わった形のマスクを被っていて、顔は見えないが、女だろう。柔らかな優しい声だった。私は、その女の膝を枕にして横たわっていた。

"Fortunata" Kalinda。
「よく眠れたかしら?」
手にしたハンカチで、私の額の汗を拭いながら、女は言った。
後で聞いたところでは、あの真紅の女と目を合わせた途端、私は失神し、ここに着くまでとうとう目覚めなかったのだという(信じられないことに、その後あの真紅の女は、離陸したヘリをジャンプで追いかけ、機体に何度かキックを見舞っていったという)。
私は身を起こした。どことも知れぬ、建物の屋上らしかった。私と女の他には、白いマントの男が何人かいるだけで、静かなものだった。潮騒とカモメの声が聞こえていた。
「……『慈悲の島』、か」
「そう。あなたの新しい人生のスタート地点。私はKalinda。"Fortunata"。あなたは、……何と呼んだらいいのかしら?」
私はあの女を思い出していた。Zigguratの中庭に降り立った、真紅の女。私と同じ顔をした女。何かを言いたげだったあの女。この息の詰まるような感じは何だろう。Lord Recluse風に言えば、これが『運命的な絆を感じた』ということなのだろうか?
「ミス?」
私は深く息を吸った。呼びかけるKalindaの手から赤いハンカチを奪い取り、きりっとポニーテールを結った。
「Elder Kissme」
「……ようこそ、ミス・Elder Kissme」Kalindaは、マスクの奥で微笑したようだった。「ようこそ、<Arachnos>へ」(*1)
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